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「30年間、父と息子が撮り続けた写真の結末に貴方も目が離せない」抜粋記事

「30年間、父と息子が撮り続けた写真の結末に貴方も目が離せない」抜粋記事
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「30年間、父と息子が撮り続けた写真の結末に貴方も目が離せない」の抜粋記事です。写真は引用元からの掲載、文章は短く自分で紹介しています。写真は引用元からの掲載、文章は短く自分で紹介しています。オリジナルの素晴らしく詳しい記事の文章が気になる方は、元記事を御覧ください。

家族にとって、子供の頃の写真を振り返り、どのような成長を遂げてきたのか確かめることは、とても貴重な時間です。たった1つの写真でも、そこには言葉では表せないほどの思い出が詰まっています。そして、それは家族だからこそわかる素敵な思い出なのです。

これから紹介するある父親と息子は、成長のひと時でさえ、忘れたくないと思ったので、30年間毎年、一緒に写真を撮ることを決めました 。それらの写真は、決してただのスナップショットではありません。1つの家族が、徐々に家族のかたちを変えていく過程を撮った貴重な写真です。あなたは、この家族の衝撃の結末に涙する・・!?

写真と西暦だけで流し読み出来ます。なぜお互いに上裸なのかは不明です。

1986

Davko/Imgur
1986年にそれは始まりました。このお父さんは、若くとても印象的な顔立ちをしています。この時、初めて生まれた息子のオムツ交換や、夜泣きなどで寝不足が続いた日々を送っていたことでしょう。

1986年といえば、日本で初めてシートベルトの着用が原則義務化になった年です。交通事故が相次いでいたことを受け、運転席、助手席だけでなく、後部座席も原則義務化となりました。今では、完全着用が義務付けられています。

1987

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息子さん、だいぶたくさん髪の毛が増えてきましたね。大人になってもこの髪の毛をずっと維持できるといいのですが・・もちろん、彼がどのように成長したかこれから確認することができるので、このあと簡単にわかってしまうんですがね。

お父さんは、父親として少し自信が出てきたように見えます。これからこの2人の親子の絆に、一体どんな変化があるのでしょうか。あなたも幼い頃の父親との関係を思い出してみてください。きっと、今とは違った関係性だったはず・・

1988

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これまで紹介してきた2枚の写真は、常にまっすぐ立ち、真剣な顔つきのものでした。この時の写真は、息子さんがまだ3歳ですが、まるでお父さんとコンビでも組んでいるような顔つきです。月日が経つに連れて、お互いがいい関係にあるのはこの写真からも明らかです。

3歳にもなれば、徐々に言葉も達者になって、色々なことに反応することが楽しい歳になっていることでしょう。

1989

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1989年のこの写真は、また真面目な顔つきの写真に戻っています。おそらく、幼稚園に通い始めて、彼の周りの世界が一変して困惑しているのかもしれません。

この年、東と西に別れていたドイツで、ベルリンの壁が崩壊しました。またその一方で、世界規模で初めてのウェブブラウザが開設したり、ボビー・マクファーリンの “Don’t Worry Be Happy.”が世界で大ヒットしました。

1990

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息子は、人生の5年目の節目を迎えました。この年は、どこか落ち着いていてクールな感じに見えます。それもこれから始まる1990年代が変化と興奮に満ち溢れた10年間になることがわかっているからでしょう。

1990年代のあなたの記憶を呼び起こしましょう。この年日本では、アニメ「ちびまる子ちゃん」がテレビアニメとして初めて放送されました。同時にバブル経済が崩壊し、株が暴落しました。

1991

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6歳では、まだ世界を気にかける歳ではありません。この小さな男の子は、父親の腕の中で、お気楽で幸せいっぱいのようです。その一方、お父さんは、いつもと同様とてもストイックに見えます。

おそらくそれは、ソビエト連邦の解散、冷戦の終結、そして国際的人気キャラクターのピーウィーヒーマンの逮捕など1991年に次々と起こった事件のせいでしょう。明るい日本の話題では、東京都内にジョリアナ東京がオープンしたことです。

1992

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これまでのごく普通の日常写真から一変、屈託のない笑顔で写っているこの海での写真は、とても素敵ですね。

1992年に起きたドラマティックな出来事の数々に、フラッシュバックしましょう。この年は、ロドニーキングの暴動から、日本では初めて宇宙飛行士の毛利衛さんが、宇宙に旅立つなど劇的な一年でした。過酷な一面を乗り越えながらも、息子の目には希望の輝きが宿っています。

1993

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この写真からまたベーシックなポーズに戻ります。そう、彼らはまた白い壁の前に戻ってきたのです。海での写真も素晴らしかったが、無地の背景写真は、男の子の成長がよくわかります。そろそろお父さんが、抱っこするには大きすぎるではないでしょうか?

この2人は、あまり知らなかったかもしれないが、1993年は世界で、多くのエンターテイナーを失った年でした。オードリー・ヘップバーン、フランク・ザッパそしてアンソニー・バージェスが一気にこの世から去ったのです。

1994

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ようやく、その少年は、ズボンを履くのに十分なほど成長しました。息子もお父さんのようにポーズをし始め、どことなく親子間ではっきりとした似ている部分が出てきました。

世界的に、1994年はワイルドな年でした。カート・コバーンが亡くなったり、O.J. シンプソンの裁判があったなどの悪出来事を一旦置いておくとすると、フォレスト・ガンプやパルプ・フィクション、そしてショーシャンクの空になど数々の名作を出したのもこの年でした。

1995

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どうもこの息子は、とても成長が早いようですね。彼は、もうズボンのボタンを締めることができないほど成長してしまったようです。9年間、世界を一緒に見ながら毎日を過ごしている彼らの目は、悲しみと幸せを両方噛み締めているような複雑な表情です。

1990年代半ばまでは、今まで想像もしなかったことが次々に起こりました。日本では、阪神・淡路大震災、そして地下鉄サリン事件など悲しい事件が相次ぎました。その一方で、ゆりかもめが開業したり、イチローの活躍がによりオリックスが優勝するなど、日本の頑張りが見える年でもありました。
やっと、息子は10歳になりました。この先の10年間は、もっとポジティブな話題でいっぱいになることでしょう。

1996

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息子は10歳となり、人生の大切な節目の一つを迎えました。彼らの顔はいつも通り、深刻に見えるかもしれませんが、彼らは目まぐるしい毎日の変化に少々驚いていたに違いありません。

この年の最大の変化は、インターネット時代の始まりです。世界最初のブラウザが開設されたのは、息子がわずか3歳の時でした。それから7年後、北米では4,500万人以上の人々が、インターネットを利用することになったのです。私たちは、この時代の変化に感謝しなければなりません。そうでなければ現在のインターネットがある毎日は、ありえないのですから。

1997

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1986年に生まれて以来、彼は驚くほどの成長を遂げています。そして、お父さんもある意味成長しているようです。笑 それは、子育てに忙しいと両親によく起こる出来事です。

1997年は、世界的に記念すべき瞬間となりました。タイタニックが映画館で公開されたり、J・Kローリングが、あの世界的に爆発な人気を得た「ハリーポッターと賢者の石」を発売した年でもあります。

1998

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12歳の男の子に昔のような幼さはもうありません。以前のように、お父さんが息子を簡単に抱きかかえることができないので、このちょうどいいポーズを思いつくのに、おそらく試行錯誤したことでしょう。

1998年は、エンターテイメントに皆が注目していた年でした。テレビは、世の中の人々の生活の一部でした。横浜ベイスターズが、38年ぶりの優勝を遂げた試合を見ている人もいれば、アントニオ猪木の試合を見ていた人もいるでしょう。しかし、有名な映画監督の黒澤明氏がこの世を去ったのもまた、この年でした。

1999

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急成長した息子について話しましょう!息子は父親とほぼ同じ身長になっています。もし、父の髪の毛がいつも短いのに、この写真だけ伸ばしていればズルしていると議論の話題になりますが、父親はいつも同じ髪型なので、まだ少しだけ父親の方が背が高いようですね。

13歳となった彼と共に時代は、2000年代を迎えようとしていました。Y2Kと言われるコンピューター2000年問題発生への心配の声が騒がれる中、時代として大きな節目を向かえようとしていたのだった。

2000

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どうやってこんなにも上手く、新しく飼った子犬を抱えたまま真っ直ぐに立って写真撮影ができるのでしょう?彼らはおそらく手放しで、この子犬を家族に迎え入れることを喜んだだろう。少し面白いのが、父親はこの子犬をちゃんと触ることができていません。間にいれて撮れば、もっと上手く撮影できてたのに・・でも、この家族に新たな家族が増えたことは、私たちも嬉しく思います。

そして、世間の心配をよそに、新しい家族と共に無事に2000年を迎えられたことも嬉しく思います。今後、15年間この二人にはどのような変化が起きるのでしょうか?

2001

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彼は、男として立派に成長しているようなので、もう”男の子”とは私たちも呼べないでしょう。15歳にもなれば、父親と同等の権利を主張してくる年頃です。高校生になった彼は自信に満ち溢れ、今なら世界でなんでもできるような顔をしています。

正直、お父さんはどこか少し老けたような感じがします。10代の子供を育てる難しさに直面しているのかもしれません。

2002

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息子は、正式に父親の身長と威厳を上回ったようです。しかし、彼はまだ10代ということもあり、体格では、まだまだ成長しきっていないところがあるようです。それでも、若い頃の父親の姿にとてもよく似ています。

この年、世界では2011年に起きた9・11事件と、アメリカ炭疽菌事件について真相を明らかにしている真っ只中でした。この2つの事件が引き続き2011年も重要視されていました。

2003

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それほど驚くことではないけれど、息子は明らかに青年へと成熟し、ティーンエイジャーとしての地位を確立し始めています。彼の体格は、よりたくましく、あっという間に父親の身長をとうに超えています。

息子の体がメキメキと引き締まっていくのとは裏腹に、父親の新陳代謝はどうも落ちているようです。お父さんの体は、現在の息子のように引き締まり細かったが、今では間違いなく中年特有の体型になってしまっています。

2004

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父親は、引き続き体に丸みを帯び続けていますが、息子の体は更に引き締まり、まるでアスリートのような体つきになっています。おそらく彼は、部活などで体を鍛えているのでしょう。

もし、この息子が芸能界に参入しようとしていたのなら、この年はかなり競争率が高かったでょう。なぜなら、2004年は映画の続編の公開が相次いだのです。そうシュレック2とスパイダーマン2は、この年に公開されたのです。

2005

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これは、今までの中でも最も記憶に残る写真です。19歳にもなった息子のためにどうにか記憶に残そうと、ただ気まぐれに撮られただけではない強い意志が感じられます。そして、この時ぐらいから、息子は職場なのか学校なのか、場所はどこでも、自身の世界を築き始めていきます。

今まで、一人暮らしをしたことがある人は誰でも、親から独立した最初の年は、とても心細かったのを覚えているかと思います。

2006

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ずっと見守ってきた息子もなんと20代に突入しました。彼の外見は、どことなくブルース・リーを思い起こさせます。そして彼はなんとどこかサーファーの雰囲気も醸し出しています。彼は、とても若々しく幸せそうに見えます。そして、父親は更に年をとったのを確認することができます。

父親は、典型的な”お父さん”の肉体を手にしてしまったようです。そのシワやシミからもお父さんは、確実に年齢を重ねている事がわかります。しかし、明るい面ではまだお父さんの髪の毛は立派に生えているという事です。これは、息子もこの遺伝子をきちんと引き継げることを証明しますね。

2007

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おお、ついにお父さんの体型の全貌が明らかに!息子をスキニージーンズと例えるなら、お父さんは、プリーツのついた特大サイズズボンって感じですかね。彼らの年齢差を考えれば、納得のいくことですよね。

2007年は、日本国内では、食品偽装や新潟の地震発生、政権交代などで、人々の不安が広がった年でした。更に、世界ではアメリカのサブプライムローン問題が全世界に影響を及ぼしました。

2008

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2008年は、チベットでの暴動が世間を揺るがせた一方で、アフリカ系アメリカ人のバラク・オバマ氏が大統領に当選し、アメリカに激震が走った年でした。

しかしながら、世間は、多くの話題で持ちきりの中、二人は全く変化がないようでした。何か、面白い出来事と言えば、お父さんと息子が二人でお揃いのベルトをつけていることぐらいでしょうか。ベルトの余り具合は、多少異なるようですが・・・。

2009

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ここにきて、息子に2つの変化がありました。それは、パジャマがボーダーになったことと、髪の毛を坊主から少し伸ばしたことです。しかし、年をとるにつれて、息子はどんどんお父さんに似てきている気がします。

そして、お父さんが息子の肩に手を回すのではなく、この写真は逆になっています。そして、段々とふくよかになってきている気もします。

2010

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あれ、また坊主に戻っています。そして、先ほどの写真からもわかるように、鼻や目、そして口元から父と息子の類似性を感じる事ができます。

世界は、2年前に起こった経済的大不況の打撃を受け続けていました。世間はこの後また、お金の問題で頭を悩ませなくていいことを願うのですが・・

2011

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息子は、お父さんの面影をまるで追いかけているようです。そして、息子はまた自分からお父さんを抱きしめるような形での撮影を選びました。18年以上も子育てに費やした事で、やっとこの時あたりから恩恵を受けられる年でしょうか?

息子は、25歳になろうとしていました。お父さんの遺伝をしっかり受け継いで、髪の毛は変わらず茂っています。そして、お父さんも髪の毛の心配は全くしなくていいようです。

2012

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正直、父親がここまで完全なビール腹になるのに、思ったより時間がかかったことに、私たちは少し感銘を受けています。 ほとんどのお父さんは、子供達が独立したタイミングで、自分たちの生活を楽しむことに奔走します。もう、父親としてのガチガチの役割を背負っておく必要がないのです。

2012年は、またもオバマ大統領が再選されました。その他、ホイットニー・ヒューストン、アンディ・グリフィス、ディック・クラークなど多くの超名人がなくなった年でもありました。

2013

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私たちは、この和やかな二人が醸し出す雰囲気に自然とにこやかになってしまいます。今までも何枚かは、笑顔を見せることもありましたが、二人とも基本的に真剣な顔を貫いてきていました。しかしながら、何十年にもわたる二人の絆は、写真のような心からの笑顔に繋がっていたのです。そして、二人は同じようなユーモアセンスを持っていた為、より心が通じ合ったのかもしれません。

更に、二人の完全な役割交代をみて、父親は息子を立派に育て上げ、息子もまた父親をしっかりと支える基盤を築いてきていたようです。そう、これだけの土台があれば大丈夫、次に起こる変化も、この息子からは納得の結末です。

2015

Davko/Imgur
最後の写真は、前回の写真から1年あいて2年後に撮影されました、そして、なぜ少し期間があいたのか、その理由をこの写真から読み取る事ができます。そう、息子は子育てに忙しかったのです。家族写真への新たな生命の追加は、とても嬉しくかけがえのない瞬間です。これまで、欠かさず写真を撮り続け、ここまで成長した自分の家族を見ることができることは、一生の誇りです。

30年どんなときも撮り続けた父と息子の努力、我々は今後もこの家族が幸せに成長していくことを心から願っています。

【おわり】この記事を見て

この記事を見て思うのはタイトルは興味をそそるものだし、簡単に見れるのならサクッと結果だけ知りたいと誰しもが思うでしょう。

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