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「世界が惚れた!数々のウェディングドレス」抜粋記事

「世界が惚れた!数々のウェディングドレス」抜粋記事
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ロイヤルウェディングが国際ニュースで取り上げられると、式全体が、公衆の注目の的となります。現代の貴族のことが気になり、高尚な式の情報をすべて知りたいのです。どこで開催されるのか、だれか出席するのか、そしてなによりも、花嫁のドレスがどのような見た目なのか。女王、王女、そして公妃たちがロイヤルウェディングの注目の的であり、よく一般人の結婚式のファッションの指針にもなるのです。どういうことなのか、見ていきましょう!

海外の王族や著名人のウェディングドレスについて書かれています。写真と概要だけまとめました。

エリザベス2世

Hulton Archive/Getty Images
エリザベス女王2世は、1952に即位してから、イギリスを含む英連邦王国を統治しています。即位前はエリザベス王女として知られていました。

彼女は1947年11月20日にウェストミンスター寺院にてエジンバラ公フィリップ・マウントバッテン王子と結婚をしました。

戦後のファッション

エリザベスとフィリップの結婚式は第二次世界大戦後に行われましたが、当時、イギリスでは資源は配給制が取られていました。ドレスのための資材は配給券を使って集められ、ノーマン・ハートネル氏によりデザインされました。

イランのソラヤー女王

イラン生まれの女優ソラヤー・エスファンディヤーリー・バフティヤーリーは、西ドイツのイラン大使であった父と、そのドイツ人の妻エヴァ・カールの間に生まれました。彼女は、イランの最後のシャーであったモハンマド・レザー・パフアヴィーと1951年に結婚し、イランの女王となりました。

高価なものに身をまとい

銀色のラメで装飾されたソラヤー女王の飛びっきり派手なドレスは、クリスチャン・ディオールによりデザインされました。

グレース・ケリー

アメリカ人女優のグレース・ケリーは、まさにおとぎ話のような人生を歩んでいました。1950年代に『モガンボ』や『ダイヤルMを廻せ!』など、いくつものヒット映画にめぐまれ、一躍大スターとなりました。女優を引退して、その後1956年にレーニエ王子3世と結婚をしてモナコ公女となり、さらに世間を騒がせたのです。

モナコのプリンセス

グレース・ケリーのエレガントで精巧なウェデイングドレスはヘレン・ローズによりデザインされました。アカデミー賞を受賞したことがある衣装デザイナーのローズはMGMスタジオに所属しており、ドレスはスタジオからの贈り物でした。このドレスには36人もの裁縫師が作業し、150年もののレースと、シルクの高級種別であるポードソアが使用されました。

ケイト・ミドルトン

キャサリン(ケイト)・エリザベス・ミドルトンは、2003年にケンブリッジ公爵のであるウィリアム王子と付き合い始めて、メディアを沸かせました。ウィリアムは亡きダイアナ妃の息子であり、エリザベス女王2世に次ぎ、王位継承順位2位となっています。ケイトは公族の血筋ではなくいわゆる”一般市民”であったため、2人の関係は最初の頃は徹底的に調べ尽くされました。

ケンブリッジ公爵夫人キャサリン

ケイト・ミドルトンのウェディングドレスは、アレキサンダー・マックィーンに所属するサラ・バートンによりデザインされました。彼女はミドルトンと密に話し合い、”伝統的かつモダン”なドレスを作り上げたのです。制作費は43万ドルもしたのだとか!胴部分は主にアイボリー色のサテンが使われ、レースより象られた19世紀スタイルのお花デザインが施されました。このお花デザインこそが彼女の言う”伝統的”な部分だったのです。

公爵夫人の2着目のウェディングドレス

John Stillwell – WPA Pool/Getty Images
ウェストミンスター寺院での盛大な式の後に、ケイト・ミドルトンはこっそりと2着目のドレスに着替えたのです。こちらは1着目ほど形式ばったものではありませんでしたが、同じくらいエレガントです。1着目と同じこのドレスは、同じくアレキサンダー・マックィーン所属のサラ・バートンによりデザインされました。ハート型の首元のデザインに、プリーツが施されたスカートとダイアモンドクリスタルのベルトが特徴的です。

背中が開いたドレスで思い切った主張をしたユージェニー王女

Toby Melville/WPA Pool/Getty Images
2018年10月12日に、世間はまた豪華なイギリスのロイヤルウェディングを見届けることができました。ヨーク公アンドルー王子とヨーク公セーラ王女の次女であるユージェニー王女は、長年の恋人であったジャック・ブルックスバンクと、ウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂で式を挙げました。ユージェニーの綺麗なジャガードドレスは、彼女が最も好きなブランドのひとつであるピーター・ピロットのチームがデザインしたものです。

ユージェニーは2着目も型破りなドレス

Pinterest/popsugaruk
もしユージェニー王女が結婚式に1着しかドレスを用意しないと思っていたら大間違いです。2着目は1着目と同じくらい素敵なドレスでした!白という伝統的な色から離れ、ザック・ポーゼンにデザインされた淡いピンク色のドレスを着ました。まさにハリウッド・グラマーですね!

アレサンドラ ・デ・オスマ

Raul Sifuentes/Getty Images
このカップルの結婚は、ハリー王子とメーガン・マークルの結婚式熱の影に隠れてしまいましたが、アレサンドラ ・デ・オスマを今回紹介しないわけにはいきません。2018年3月に、オスマはハノーファー家のクリスチャン王子と、ペルーのリマで結婚しました。

サセックス公爵夫人となったメーガン・マークル

Andrew Matthews – WPA Pool/Getty Images
2018年5月9日、メーガン・マークルとハリー王子が結婚する瞬間を、世界中の人々が見守りました。メーガンは見惚れるようなドレスに身をまとい、世界中で似たようなドレスがすぐさま誕生しました。ドレスはワイト・ケラーがデザインしましたが、夢のようなこのドレスの製作に、たった5ヶ月しか時間がありませんでした。

スウェーデンのマドレーン王女

Ewa-Marie Rundquist, The Royal Court
2013年に、スウェーデンのマドレーン王女はアメリカ系イギリス人の投資家クリストファー・オニールと、おとぎ話のような恋愛を経て結婚しました。マドレーン王女は以前婚約していたのですが、結婚前に関係は破綻。傷心旅行で訪れたニューヨークで、彼女はクリスに出会ったのです。

エカテリーナ・マリシェヴァ

RONNY HARTMANN/AFP/Getty Images
晴れ舞台のために、マリシェヴァはデザイナーのサンドラ・マンスールにドレスのデザインをお願いしました。

ウェールズ公妃ダイアナ

チャールズ王子と婚約した時、ダイアナは幼稚園の先生として働いていました。世界中で放送された2人の結婚式を経て、ダイアナはウェールズ公妃、コーンウォール公爵夫人、ロスシー公爵夫人、チェスター伯爵夫人、そしてレンフルー男爵夫人となったのです。 1981年7月29日に行われた結婚式は、テレビを通して7億5000万人ものファンに見届けられ、祝福されました。ダイアナとチャールズはウィリアム王子とハリー王子という2人の男の子を授かりました。

歴史に刻まれたドレス

ダイアナ妃のドレスは、世界でもっとも有名なドレスのひとつとなりました。アイボリー色のシルクタフェタと、アンティークレースが使用されたドレスは、デビットとエリザベス・エマニュエルによりデザインされました。ダイアナが好み、かつ”良い印象を残すために、適度にドラマチックなドレス”を意識したようです。

ハッジャ・ハーフィザ・スルルル・ボルキア王女

ハッジャ・ハーフィザ・スルルル・ボルキア王女は、世界でもっとも裕福な人間の1人であるとされブルネイのスルタンであるハサナル・ボルキアの娘です。母親はラハ・イステリ・ペンギラン・アナク・ハハ・サレハです。この一家は、王国を600年以上統治してきました。

贅沢な機会においては

結婚式とそれにと伴うお祝いは、スルタンの娘にふさわしいものでした。正式な結婚式は、1,700室もあるスルタンの宮殿で行われ、なんと3,000人もの人が出席したのです!ハーフィザ王女が式で着たドレスはベージュ色で、裾の部分には銀が、そしてドレス全体にはクリスタルのビーズが施されました。また、新郎は、対になるベージュと金色の服装でした。

マリー・シャンタル・ミラー

ロンドン生まれのマリー・シャンタル・ミラーは、アメリカ生まれのイギリス人父とエクアドル人母に、香港で育てられました。そこから彼女はスイスで教育を受けたのち、ニューヨーク大学で美術史を専攻しましたが、そこで彼女は少しの間、アンディー・ウォーホルの下で働きました。

ギリシャ王太子妃

結婚後、マリー・シャンタルはギリシャのパウロス王皇太子妃の称号を得ました。このロイヤルウェディングは多くの人の注目の的となり、礼拝堂での出席者は450人にも上り、さらにエリザベス女王のお母様を含む850人もの人が、ハンプトン・コート・パレスから、衛星動画を介して式を見守りました。

ヨルダンのラーニア王妃

クウェート生まれのラーニア・アル=ヤシーンはエジプトとスイス両方の大学に在籍したことがあり、シティバンクとアップルで働いた経験もあります。彼女は1992年に、晩餐会でアブドゥッラー・ビン・アル=フセイン王子と出会います。後日談として、アル=フセインは2005年に、People誌に次のように語りました。「ラーニアが部屋に入ってきた瞬間、運命を感じました。一目見て恋に落ちてしまったのです。」

権力に適した女性

ラーニアはイギリス人のデザイナーであるブルース・オールドフィールドに結婚式の服装すべてのデザインをお願いしました。伝統的なムスリムの結婚式であったため、ドレスは控えめではありましたが、とても美しくもありました。式中、ラーニアの顔はベールで覆われていました。ラーニアのドレスは金細工が施され、短い袖、装飾された下襟と合わさって、まるでパワースーツのようでした。有力かつ影響力のある女性となった今から見返すと、このドレスは実に適切だったと言えるでしょう。

ルクセンブルクのクレア王女

クレア・マルガレータ・ラーデマッハーはドイツの裕福な家庭に生まれました。父親はソフトウェア業界で多くの成功を収めてきました。ラーでマッハーは学位を取得してから、公務員として働いていたのです。

絵に描いたような優雅さ

クレア・ラーデマッハーとフェリックス王子の婚約は2012年に正式に発表され、2013年に、2人はドイツで結婚しました。大公継承順位2位のフェリックス王子との結婚により、彼女はルクセンブルクの王女となりました。エリー・サーブによりデザインされたクレア王女のウェディングドレスは、アイボリー色のシルクの胴部から流れるように繋がっていた、3メートルにも及ぶ裾が特徴的でした。

キャロライン王女

モナコ公室に生まれたカロリーヌ王女は、レーニエ王子3世と、元女優のグレース・ケリー王女の長女です。弟のアルベルト王子が生まれるまで、彼女は1年間ほどモナコの王位を継承する立場にありました。

控えめな魅力

1987年の初めての結婚式で、カロリーヌは花型の装飾がされた白いドレスで登場しました。このドレスは、マーク・ボーハンによりデザインされた、クリスチャン・ディオールのオートクチュールでした。ボーハンは、当時ディオールのヘッドデザイナーだったのです。ハイネックとビショップ袖が特徴となり、当時とても流行的として話題になりました。

スペイン王妃レティシア

元ニュースアンカーかつジャーナリストのレティシア・オルティス・ロカソラーノは中流階級の家庭に生まれました。父親も同じくジャーナリストで、母親は看護師でした。レティシアは、2004年にアストゥリアス公フェリペ王子6世と結婚するまで一般市民でしたが、結婚を経てアストゥリアスの王女となりました。王子とともに公務をこなし、王の代理として世界中を旅しました。

王女転じての王妃

レティシアのドレスはとても需要が高いスペイン人のデザイナー マヌエル・ペルテガスによりデザインされました。このドレスは床まで届く堂々たるドレスと、独特なハイカラーが特徴でした。この繊細なシルクのドレスには、アストゥリアス王子のシンボルであるフルール・ド・リスの形をした銀と金の装飾が4.5メートルもある裾の最後まで施されていたのです。

シャーリーン・ウィットストック

シャーリーン・ウィットストックも、一般市民から王族へと転身した方のひとりです。モナコの王族に嫁ぐ前、ウィットストックは南アフリカ代表の水泳選手でした。2011年に、レーニエ王子3世とグレース・ケリーの息子であるアルベルト王子2世と、プリンスパレスにて民事結婚式を経て結ばれました。

新しきモナコの王女

民事結婚式の翌日、王子と王女は宗教婚式を挙げました。こちらでは、シャーリーンはなめらかでオフホワイト色の美しいアルマーニのドレスを身にまといました。ドレスの前部分、スカート、そして80メートルものシルク・オルガンザでできていた裾を覆っていた刺繍を完成させるのに、実に2,500時間も掛かったそう!

マーガレット王女

マーガレット王女はジョージ王6世とエリザベス女王の間に生まれ、エリザベス女王2世唯一のきょうだいでした。マーガレット王女は社交的で人気者でした。エリザベス女王は、妹がいつも注目の的であることを気にしていないのかと聞かれると、「マーガレットが居てくれたほうがいいのよ。そうすればマーガレットが笑いを取ってくれるから」と答えていました。

ウィンザー公爵夫人

シンプソンのドレスは、今まで見てきたドレスと比べると異様に見えるかもしれません。マン・ルソー・ボシェにより設立されたアメリカのファッションレーベルであるマンボシェにより、このなめらかなドレスは作られました。ウェディングドレスによく見られる白やアイボリーではなく、“ワリス・ブルー”として知られることとなる青色をシンプソンは選んだのです。この色は、彼女の目の色とマッチするように作られたのだとか。

ファビオラ・デ・モラ・イ・アラゴン

スペイン生まれで、7人兄弟の1人であったファビオラ・デ・モラ・イ・アラゴンは、1959年にベルギー王のボードゥアンと逢った時は病院で働く看護師でした。また、子供向けにおとぎ話を執筆・出版していました。ボードゥアンとの婚約前はただの一般人であったため、1960年に、TIME誌は彼女を“シンデレラ・ガール”と称したのです。

コーンウォール公爵夫人カミラ

カミラ・パーカー・ボウルズ(出生名カミラ・ローズマリー・シャンド)は2005年に、エリザベス女王2世に次ぎ王位継承順位1位のウェールズ公チャールズ王子の2人目の妻となりました。この結婚により、彼女はコーンウォール公爵夫人の称号が与えられました。彼女は、チャールズに“王子”の次に授与されていた“コーンウォール公”の方が、“ウェールズ公”より気に入ったからです。

大人版のおとぎ話

カミラとチャールズ王子の結婚は、2人の関係に関する様々なスキャンダルと論争があったため、多くの疑問が投げかけられました。しかし、2005年には逆境を乗り越え、ウィンザーギルドホールでの民事結婚式を経て、2人は関係を正式なものとしたのです。

ハユ王女

ジョグジャカルタのハユ王女は、スルタンであるハメンクブウォノ10世の4人目の子です。2013年に、彼女は、ニューヨークの国際連合でキャリアを積んでいたノトネゴロ王子と、10年間の求婚期間を経て結婚しました。

インドネシアの王族

Ulet Ifansasti / Getty Images
この豪華な結婚式は、新郎新婦、また出席者全員がジャワの結婚の服装の伝統に則り、伝統文化を大切にしていました。新郎と新婦の2人にはフェイスペイントが施され、複雑な頭飾りとジュエリーを身につけました。

ピッパ・ミドルトン

ピッパ・ミドルトンは作家、コラムニスト、そして社会活動家です。ただ、ケンブリッジ公爵夫人キャサリンの妹として、もっとも有名でしょう。元パイロットとキャビンアテンダントの娘であるピッパは、2011年の姉・キャサリンの結婚式で、花嫁付添人となったことでメディアから注目されました。

王族に適した結婚式

おそらく世界で一番有名な“妹”であったピッパですが、その名声に恥じない豪華な結婚式となりました。ピッパ・ミドルトンがジェームズ・マシューズと2017年に結婚した際、6年前のケンブリッジ公・公爵夫人の結婚式と同じくらい注目を浴びました。それもそうでしょう。ピッパのドレスは実に美しかったのですから!

【おわり】この記事を見て

タイトルは興味をそそるものだし、簡単に見れるのならサクッと結果だけ知りたいと誰しもが思うでしょう。

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